今の世の中、車が無いと成り立たないと思うのは私だけではないはずです。少なくとも東京などの首都圏は別として地方都市に住む人にとって自動車は、通勤の足としてまた休日のお出かけのときなど無くてはならない存在であることは間違いありません。
紛れも無く現代社会は自動車依存症だと言えます。普段何気なく運転しているマイカーですが、よくよく考えてみるとこんな便利なものは長い人生でも他には無いのではないでしょうか?。人間が自動車中毒と自虐的に言ってしまうのも納得です。
依存症には弊害がありますが、自動車依存症の場合はどうでしょう?
こんな記事を見つけました。
報告書は、「中心市街地の衰退」「温暖化の要因」「運動不足による健康被害」など車社会の弊害を列挙。公共交通や自転車、徒歩による移動を優先した交通施策、街づくりを進める必要性を強調した。
自動車依存から転換 松本市の次世代交通政策提言:中日新聞
長野県松本市の「次世代交通政策研究会」の報告書によると自動車に依存する社会は上に書いたような弊害を生んでいるそうです。たしかに最近は商業施設が郊外にオープンする傾向があるようですし、地球温暖化の要因となるのはもはや常識ですし、歩かずに車通勤ばかりだとそりゃ運動不足にもなるってもんですね。
中心市街地が寂れていくのは悲しいし、地球温暖化のことも気になると言えば気になるし、運動不足は他でどうにかするからいいとしても自動車が無くなったら困るのは事実です。
私が考える車が持つ最大の魅力とは
依存、依存と連呼していると車に乗っているのが何か悪いことをしているかのような錯覚がしてきたので、車の援護射撃をしたくなりました。
私が思うに車が持っている、人間を依存症にしてしまう程の魅力とは、「自分の行きたい場所へ、歩くより走るより圧倒的に早くいけること。しかも重たい荷物を積んで」これに尽きると思います。人間がどんなに体を鍛えて足が速くなったとしても車には永久にかなわないでしょう。
よく車のことを足に例えたりしますが、人間は自動車に乗ることによってとてつもなく行動範囲が広がるわけです。もちろん飛行機や船などのように空を飛べたり海を渡れたりはしませんし、新幹線ほど速くも無いかもしれませんが、自分自身の意思で行きたい場所へ行けるという便利さは何物にも代えがたいものです。
そうは言ってもこれから世の中、依存症からの脱却を試みるのは止むを得ない
車がいくら便利なものだからと言っても、地球環境のことや自動車事故のことなどもろもろ考え、そろそろ人間も依存症を克服したいと考え始めたようです。地球環境に関しては現在の石油を燃料とする自動車から、ハイブリッド車や次世代の自動車である電気自動車に乗り換えれば事足りるような気がしますが、結局は種類が変わっただけで車への依存度は変わらないですね。
上で紹介した松本市では公共交通や自転車、徒歩による移動を優先した交通施策、を推進することで自動車に依存しない街づくりをしていこうと考えているみたいです。世の中だんだんそうした流れに乗っていくのでしょうか?
それでもやめられない、私は立派な自動車依存症
私は地方に住んでいるということもありますが、自動車から離れた生活などできそうもありません。まず車がないと仕事に行けません。いや、行けなくは無いのですがやっぱり車がいいですね。
それに休日のドライブも立派な趣味の一つだと思っていますし、車に乗らないようにと休日にパチンコなどして時間をつぶすほうがよっぽど不健康ですよね。
いずれにしても世の中から車が消えることはないでしょうし、自動車に頼らない街づくりなんて夢のような話は都市部は別として少なくとも地方ではありえません。
私自身はいずれ電気自動車などに乗り換える時がくるでしょうし私はこの際、自動車依存症のままで構わないと思っています。
だって行きたい場所に景色でも眺めながら、走るより早く重い荷物を積んで行けたら最高じゃないですか!
それではまた!
人口減少、税収減少の今後はマイカーに依存した人口点在地域はインフラの維持費が枯渇して、災害に脆弱な地域になります。不動産価値の下落や人口転出超過などは自家用車保有率の高い地域ほど顕著に表れています。そして地方衰退の主要因は過度なマイカー依存により県外資本が入り、税収は県外に出ていく事も要因です。安易なマイカー依存が年間58万人もの交通事故負傷者を生み、温暖化が進み、糖尿病罹患率も上昇させて地方を衰退させているのです。クルマがないと生活できないという理由で高齢になって交通事故を起こして他人、若い人の命を犠牲にするなんて絶対にあってはいけない事です。
クルマ依存人の老後は車椅子生活で周りに迷惑かけまくり。
自動車依存症な人の多くは慢性病予備軍に
なる可能性があります。骨粗しょう症、糖尿病、
心筋梗塞、etc 毎日、バランスのある食事を摂取し、
有酸素運動をして下さい。